非マニュアル主義は労務難を救うか
すき家が24時間営業を一部停止するなど、外食チェーンを中心に労務難が叫ばれる昨今。
先日あるコーヒーチェーン店を訪れた際も、スタッフが一人で店を切り盛りする姿を目にしました。
席は20席ほど。時間は土曜日の昼下がり。繁忙な時間帯に一人は大変だろうなと思いながら様子を眺めていました。
案の条、カウンターの前に行列ができていきます。
注文を聞いてからコーヒーを淹れ、レジを打ち…ですから大変です。
しかし、並んでいるお客さんからはさほど急いた空気を感じません。
よく見るとこのお店のお客さんは殆どがシニアの方かつ常連のようでした。
こうした様子を特段気に留めてはいないのです。
また切り盛りするのは60代の女性スタッフ。
ベテランと見え、手際よく作業しつつも一人ずつ丁寧に応対していました。
もちろん常連さんへの気配りも忘れてはいません。
労務難と一言に言っても、地域や業態などによってその深刻さは異なるでしょう。
24時間応対可能かつ正確であることを目指すのはかなりハードルが高いことになりつつあります。
そこで思うのですが、全ての地域の全てのユーザーが本当にそれを求めているのでしょうか?
あの店に行けば馴染みのスタッフが応対してくれる。だからこの店を選んだ。少々待たされても、いつものスタッフから一言お詫びを聞けば許せてしまう。というユーザーも一定数いるはずです。
これからも生き残れるのはマニュアル主義ではない本当の意味での顧客満足を追求できる店舗ではないのでしょうか?
あるコーヒー店の光景からそんなことを思いました。
断食をしてみた
年末の暴飲暴食で疲れ切った胃をリセットすベく丸ー日の断食に挑戦してみました。
ル一ルは簡単。朝起きてから夜寝るまで何も食べないこと!
ただし脱水症状を起こすといけないので水とお茶はOK。カロリ一があるのでジュ一スは不可。
それと口臭予防のためミンティアはOKにしました。
仕事が休みの日に挑戦したので朝はゆっくり11時ごろに起床。断食デ一のスタ一トです!
前日に酒を飲んだ日などは朝食を抜くのも珍しくありません。なので起きた瞬間空腹ということはありません。
そうこうする間に昼食の時間に。
臭いに誘われないように、食事をとる家族からは離れます。
この時点でも問題なし。
「これは案外行けるんちゃう?」
そう思っていたんですが、3時を回った辺りから急速に空腹感に襲われます。
テレビで食べ物の画像を見るとキツい。
思えば昨日はおせち料理の残りが夕食で普段より軽めでした。
「昨日もっと食べとけばよかった…」
次第に食べ物の名前を聞くだけで腹が減ってきます。
7時を回った辺りから段々と体に力が入らなくなってきます。
唯一口にできるミンティアや、お茶でさえ美味しく感じられてきます。
集中が切れてきますので、物事を考えるのが酷く億劫になってきます。
昼過ぎからほとんどパソコンでアニメを見て過ごしました。
入浴時に体重を測ると2キロ弱体重が落ちていました。
就寝はいつもやり早い12時すぎ。
おかげで朝は空腹で5時に目が醒めました。
早速朝食を!
でも食べれることが嬉しくて少し気持ち悪くなるくらい食べてしまいました(笑)
断食前と比べると、体が少し軽くなって体内時計もリセットされた感じです!
仕事が完全OFFの日しかできなさそうなので毎週やるの少し厳しいですが、月1くらいでやっていきたいですね。
仕事がら飲むことも多いですので…!
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「NHK プロフェッショナル仕事の流儀」 漫画編集者 佐渡島傭平
印象に残った彼の言葉を引用します。
「みんながめんどくさがっていることを僕は一個一個やり続けている。僕の価値は引いてるハズレの多さ。」
些細なアイディアでも地道に実行する。
彼は仕事のにおいて"魔法の一手"といつものを信じていないし、探していない。
仕事のできる人ほど基本の大切さを知ってますね。
「編集者は自分の不安をすぐ解消したいもの。作家が悩んでいるときに電話をかけたり会ってじっくりしゃべりましょうというのはほとんどの場合は自分の不安を鎮めるためにやっているだけ」
「仕事を引き受けた時には(漫画家を)信じる覚悟ができている」
だがこの時はあえて彼を信じ、電話一本すらかけなかった。
曽田はその後トンネルを抜け、自ら答えを見出した。
相手にアドバイスできる立場にありながらあえてそれをしない勇気、覚悟、決断力。
編集者に限らず、ビジネスマンなら誰しも身につけたいスキルですね。
「素朴で何気ないものが誰かの心に力を与える。」
「世の中で役立つものは絶対なくならない。でも役立つものよりも役立たないものが人生を変えるときがある。漫画を読むことによって少しは(人生が)よくなったと思って欲しい。」
ネルソン・マンデラのもと全人種参加選挙が行われていたころだ。
そこで目にした白人も黒人も関係なく何気ないメロディを皆が歌う光景が、今も心に残っているという。
人の役に立つものが、必ずしも人生の役に立つとは限らない。
「人の役に立つ仕事がしたい」という声はよく耳にするけれどその定義は人それぞれ異なってもよいのではないでしょうか?
佐渡島氏の生き様から多くのヒント、またビジネスに取り組む姿勢を学んだ回でした。
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世に棲む日日 一 司馬遼太郎
世に棲む日日 一
だがその生い立ちや人柄となると意外にも知る人が少ないのではないだろうか。
1巻では松陰の生い立ちから2度目のペリー来航までが触れられ、後の松陰の思想の基盤になるエピソードが描かれている。
なかでも印象に残ったのが叔父玉木文之進から受けた徹底したスパルタ教育である。
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ある夏のことである。その日格別に暑く、野は燃えるようであった。
暑い日は松陰は大きな百姓笠をかぶらされた。
中略
暑さで顔じゅうが汗で濡れ、その汗のねばりに蝿がたかってたまらなくかゆかった。松陰はつい手をあげて掻いた。これが文之進の目にとまった。折檻がはじまった。
中略
「それでも侍の子か」
と声をあげるなり松陰をなぐりたおし、起きあがるとまたなぐり、ついに庭の前の崖へむかってつきとばした。
中略
「侍は作るものだ。生まれるものではない」
という意味のことを玉木文之進はたえずいった。
松陰は五歳から十八歳までのあいだ、このような家庭教師から教育をうけた。
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と、現代では考えられない教育法である。
これが藩から脱藩行為と見なされ、松陰は士籍のない浪人として諸国行脚の旅に出ることに。
そこにペリーが来航して、「日本をどけんかせんといかん」となる展開で1巻は終わり。
ちなみに妹・文の登場シーンはこの巻では1度きりだったが、大河ドラマではどんなかたちで描かれるのか興味深いところだ。
余談になるが松陰の鬼コーチ文之進は行政官としては別人のように優しかったという。
吉田という土地に任官した際は庄屋とともに百姓一軒ごとに実態調査に赴き、貧民の声に耳を傾け、ときには共に涙を流した。
また役人の間で賄賂はびこるなか、それを激しく憎み自らは清廉を守りきった。
そうした文之進の行為に庄屋は貧民の救恤を忘れていた自分たちの怠慢を、下僚の役人たちはその貪婪のわるいことを自然と悟ったという。
文之進ら松陰を取り巻く人物像を含め、ゆっくりと読み解いていきたい。
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